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岡田茂吉氏と自然農法

自然農法の創始者 岡田茂吉師

岡田茂吉師は、明治15(1882)年12月23日、東京都浅草に生を享けました。幼少の頃から虚弱体質で次々に病気にかかり、成長し商売を始めてからも、重度の脳貧血、腸チフス、 胃痛、リュウマチ、尿道炎、扁桃腺炎、神経衰弱、腸カタル、心臓弁脈症等々数えきれない程の病気に悩まされ、入院3回、不治の宣告2回と「病気の問屋」と自分を称するほどでした。

始めた事業は成功をおさめましたが、取引先の銀行の破産で頓挫します。さらに夫人は妊娠 5ヶ月目にして母子ともに亡くなり、岡田師は不幸のどん底に苦しみました。その後設立した株式会社は発展しましたが、第一次世界大戦後の経済大恐慌で大打撃を受け、さらに関東大震災によって事業は再起不能となるなど、次々と病貧争の苦しみを体験した岡田師は、ついに人類の幸福を求め、真理を探求する道を歩む決心をしました。

岡田師は、求道の道を歩まれる中で、理想世界を建設するために、個人の人間性・精神性の向上の必要性、美の力で魂を清浄化する活動、「農業の芸術」自然農法を提唱しました。そ してその普及に精進するなか、昭和30(1955)年2月10日に天寿を全うしたのです。

農業の芸術

岡田師は、幼い頃の病弱、青年期の病苦の中から、人間が病いを治そうと使用してきた薬が、 実は一時的な効果をもたらすに過ぎず、結果として病気を悪化させたり、新たな病気の原因になる事を見出しました。

同じように、農業において少しでも収量を増やし、おいしい作物を作ろうとして使用してきた肥料が、結果として土を汚し、土の力を弱め、その作物を食する人間の健康にも悪影響を与える事に気づきました。

昭和10年に説いたこの農法の根本原理は「人肥や厩肥また化学肥料などを一切使用せず、 出来るだけ土を清浄にし感謝して栽培すると、土本来の素晴らしい力を発揮し、その地域に住んでいる人間や家畜を養うに十分な、美味な作物が豊富に収穫できる」という画期的なものでした。

以後、約300坪の畑で実験に取り組み始め、無肥料での野菜作りは、味の良いこと、虫のつかないことなどを発見しました。昭和17年には無肥料の米作りを試し、花、果樹、野菜、 水稲、小麦、大豆など、数年にわたって実験と研究を続けました。昭和23年に『無肥料栽培』と題する論文を発表すると徐々に全国に広がり始め、昭和25年には『自然農法』と名称を統一、自然農法は「農業の芸術」である、と説きました。

岡田師が自然農法を説いてより30年余、昭和40年代に入ると化学肥料や農薬散布などによる人体への被害などが、ようやく世間で注目されるようになりました。それを見越して、早くから啓蒙と警告を繰り返し、自然農法を実施、推進していたことは、世界的にも最先端の画期的なことでした。

自然農法は、慣行農法の弊害をなくすために生まれた農業技術というだけではありません。「人間の幸福は大自然から謙虚に学び、大自然の摂理と調和した『自然尊重』『自然順応』の生き方から生まれる」という、岡田師の哲学を具現化したものです。

「自然がすべてを教えている」
岡田師はその本質をこう語りました。

秀明自然農法は現在の世界の環境問題、食料問題の解決にも大きな光明となります。秀明自然農法によってできた農作物や、それからできる加工食品などを食する人々に、健康だけでなく、 自然にそって生きる喜びを、もたらすことができるのです。
岡田茂吉氏と自然農法